ジャランジャラン・エスファハーン
△「グッドモーニング」
庶民の胃袋を支えるナン屋さん。1枚300リアル(約4円)。
△ゴマつきナンと、昨日買っておいたピクルスとハムの朝食。
イランは都市部でもレストランが少なく、旅行者はなにかと工夫する必要がある。
△宿泊しているところはアミール・カビール・ホステル、1泊35000リアル(約480円)。
今日も元気に街歩き開始。
△徒歩10分ほどのところにある都市最大のバザールは美麗を極める。
古美術品、工芸品、絵画、絨毯、陶器……
△バザールの南に位置するイマーム広場。
『エスファハーンは世界の半分』 の賞賛の中心に位置する雄大な眺め。
△イマーム広場を抜けた先にある公園を歩く。
途中で右へと向きを変え、街の西方にあると聞いた『鳥の庭園』を目指し歩く。
△「ハローミスター、どっから来たんだい?」
そう声をかけてきたのは地元に住むメヘランさん。
△メヘランさんは別れた後で追ってきて、また私に声をかけた。
「もし良かったら、ウチで一緒にご飯を食べませんか?」
思いがけないお誘いだ。
ノーヘルメット、3人乗りでメヘラン邸へと向かう
△メヘランさんのお宅。ソニーの薄型テレビにAVコンポに広い部屋。
△過保護に見えるイスラム圏の女性は実際かなり活発だ。
メヘランさんの娘も家に着くなりチャドルをはずし遊び始めた。
△メヘランさんちの昼ごはん。
チキン・ポテト・トマトの煮込みをナンに乗せ、ピクルスや香草と共に挟んで食べる。
△メヘランさんちに遊びに来ていた友人のハミッドさん。
「鳥の庭園へ行きたいのか?じゃあ車で連れてってやるよ」
△着いたのはイマーム広場の近くの大学構内…あれ?
ハミッドさんは資料館で本を借りている。
「このアミールさんに昔のアルバムを見せてもらうといい。じゃあ俺はこれで」
「え、鳥の庭園は?」
「明日にすればいいじゃないか」
「あーうん…」
メヘランさん → ハミッドさん → アミールさん、たらい回しに流されてるこの感じ。
△イラン各地に残された膨大な数の資料文書がこの施設に集められている。
それらを管理しているアミールさんはなぜかカタコトで日本語をしゃべれる。
△「コレハ、ムカシノモノデス」
ペルシア語の古い新聞と思われる。蓄音機や冷蔵庫など最新電化製品の広告が掲載されている。
△20世紀を代表する、イランにまつわる有名人のクリップ。
チャップリンやガンジー、パキスタン紙幣の肖像画の人など数名の顔に見覚えがある。
△1924年の世界の植民地地図。イランはかなり瀬戸際に位置していた。
アミールさんの資料の説明は2時間近くにも及んでいる。
「もう疲れました…」
「ワカリマス、イマームスクエア ニ イキマショウ」
△イマーム広場は夕闇が迫り、空には月が光っている。
△「コレハイマームモスクデス」
「アミールさん、もう暗くて見えないんだけど」
「ダイジョウブ、アシタマタミラレマス」
「えー…」
△「マダダイジョウブー。……ダイジョウブデスカ?」
「えーとー………もうだめ」
「チョットマッテ、チャイヲタべマショウ」
いつまでも引き止めるマイペースのアミールさんに別れを告げ、乗り合いタクシーに乗車する。
2kmほど走って5000リアル(約65円)。車社会のイランは朝から晩まで車の流れは絶えない。
△街の南を流れる川にかかる橋。オレンジ色にライトアップされ美しい。
△日が沈み急激に冷え込んできた。
橋から北へ伸びるメインストリートの先にある宿へ向け帰路を歩く。
△夕飯を食べにレストランへ。一等地にあってなおこの落ち着く雰囲気はなんだろ。
△皮がじっくり香ばしく焼かれたローストチキン定食、20000リアル(約260円)。
△メインストリートは夜遅くまで買い物客で賑わいを見せる。
イランの物価はとても安い。しかし生活水準は低くない。
美しい街並みと豊かな物資の中、人々の暮らしは優雅にすら見える。
ある老人は私にこう語った。
「1979年のイスラム革命以前のパフラヴィー朝時代に、私はイタリア旅行へ行った。
その時の航空券はなんと30000リアルだったんだ。今では昼飯を食べたら無くなる金額だね」
当時[1ドル=80リアル]だった外貨レートは、現在[1ドル=9200リアル]。
この四半世紀の間にイランは凄まじいインフレに見舞われたのだ。
しかし人々の心は限りなくおおらかだ。優しさと勝手さがうまく混在している。
あくせくと働こうとしないのは、お金の儚さを身をもって経験したからなのかもしれない。
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