いいやんのウェブサイト

Travel in Europe 2
■オーストリア編

 ドイツに1泊した翌日にオーストリアへと向かう列車に乗り込みました。席に着いてすぐ、「君もどう?」と、向かいに座っていたカップルがオレンジジュースをすすめてくれました。
 左の彼女はチュニジア在住でイタリア人とオーストリア人とのハーフ。右の彼はイタリア人とブラジル人とのハーフ。いままでの旅の話や、彼女が日本に行き九州を訪れた時の話などをするうち、ふと…いつの間にやら、英語での会話に抵抗が無くなっていることに気付きました。

 乗り換えをする国境近くの駅“ザルツブルグ”は、『塩の城』という意味だそうです。さっき別れた左の彼女が言っていました。乗り換えてから約3時間…、ウィーン西駅へと到着です。


 ウィーンには、姉が滞在しています。ネットカフェからメールで連絡を取り合っていたので、すんなりと再会することができました。姉がお世話になっている家の夫妻へ、お土産としてミュンヘンで買ったベーコンを贈りました。しかし後に奥さまはベジタリアンである事が判明…。

 一泊30ユーロの宿泊先も見つかり、翌日は姉と観光をしました。

王宮の庭。人と銅像の大きさを比べてみて下さい。 ステファン大聖堂の中。
旧市街地は賑わっています。 白馬が引くピンクの馬車。遠くに見えるお城。もはやおとぎ話の世界です。


□ウィーンのうまいもん□

 オーストリア料理はそれほど独特なものは少なく、近隣諸国の食文化がミックスされているそうです。

30cmはあろうかというウィーン風カツレツ“シュニッツェル”。左奥はチーズのフライ。 オーガニック野菜のレストランのランチ。豆腐ハンバーグやピザ、サラダなどどれもおいしい。
名物のチョコレートケーキ“ザッハトルテ”。『元祖』を名乗れるのはウィーンでも2店だけとか。 山の上で農家が経営する“ホイリゲ”と呼ばれるレストランでの食事。野外の席は空気までもがおいしい。


□帰路□

 翌日、ウィーン西駅から6ユーロのリムジンバスに乗って空港へ行き、来る時と同様に長時間のフライトを予定している飛行機へと乗り込みました。卒業式のような、引っ越しの時のような、抱えきれないほどの思い出を巡らせながら、確実にある未練を忘れようと私は淡々としていました。
■旅を振りかえって

 道中、本当の意味でひとりきりだなぁと感じました。見回しても誰一人知り合いはおらず、日本にいる知り合いが自分に連絡を取ることもできません。今まで生きてきて一番、自由に過ごしている時間と言えたかもしれません。そんな時間を過ごすうち、日本人から1人の人間へと、1人の人間から1匹の生物へと、あっけなく日常の殻は剥がれて行きました。延々と列車に揺られていると、窓から見えるこの田舎街にポテ、と置き去りにされても生きていけるか、楽しい日々が送れるかを旅が問いかけて来るかのようでした。


 大きな駅に着いて、右も左もわからない。把握している事が少ない分、そこには予測できない楽しさが溢れていました。元来楽天的なので不安よりも期待が上回るのです。次はどんな人に、どんな景色に、どんな食べ物に出会えるんだろう。


 訪れた国々と日本とを比較すると、やはり随分と違いがあります。例えば気候は非常に快適で心地よいものでした。湿度の低さは特筆もので、パンやポテトチップなどは2,3日放置しておいてもパリパリサクサクのままです。また、急に冷え込むことも無く昼間も夜も同じ服装でいられます。さらには、季節がら夜22時くらいまで日が出ており、これには少し時間の感覚がおかしくなってしまいます。

 電車一つとってみても…いや、ひょっとしたら電車が一番ギャップがある部分かも知れません。今回訪れた国々では駅に改札は無く、自分で目的地までの切符を買うか、もしくは一日券をタバコ屋で入手して自分でタイムスタンプを押し、自分で行き先を確認した電車に乗ります。車内の広告はゼロ。広告どころか路線図もありません。停車駅に近づくと駅名が一言アナウンスされるだけ。ホームには駅名の表示はあるものの、隣の駅の名前は表記されていません。この状況で自分で降りるべき駅を把握していなくてはなりません。


 一方、日本の電車は皆さんが御存知の通りです。ある駅の電光掲示板には『切符は目的地まで正しく買い、目的地まで無くさないようご注意下さい』と。ホームでは『押し合うと大変危険です』のアナウンス。電車に乗れば駅名や乗り換えの案内はもちろんのこと『左側のドアが開きます』とまでアナウンスされます。

 こうして電車について比べると、日本では情報量が必要以上にあり余計なものが多すぎます。ですが、どこでも情報が手に入るという利点はあるでしょう。一方でヨーロッパは情報の入手経路が限られている分、ホームも車内もシンプルで静かです。


 その情報不足を補うためなのでしょうか。人々は当たり前のように知らない者同士、声を掛け合います。そのやり取りには笑顔があり、とても気持ちが良いものです。他人に聞く必要が全く無いくらい情報量を豊かにするという事は、果たして進歩と言えるだろうか…などと、考えさせられました。

おまけ