道中、本当の意味でひとりきりだなぁと感じました。見回しても誰一人知り合いはおらず、日本にいる知り合いが自分に連絡を取ることもできません。今まで生きてきて一番、自由に過ごしている時間と言えたかもしれません。そんな時間を過ごすうち、日本人から1人の人間へと、1人の人間から1匹の生物へと、あっけなく日常の殻は剥がれて行きました。延々と列車に揺られていると、窓から見えるこの田舎街にポテ、と置き去りにされても生きていけるか、楽しい日々が送れるかを旅が問いかけて来るかのようでした。 大きな駅に着いて、右も左もわからない。把握している事が少ない分、そこには予測できない楽しさが溢れていました。元来楽天的なので不安よりも期待が上回るのです。次はどんな人に、どんな景色に、どんな食べ物に出会えるんだろう。 訪れた国々と日本とを比較すると、やはり随分と違いがあります。例えば気候は非常に快適で心地よいものでした。湿度の低さは特筆もので、パンやポテトチップなどは2,3日放置しておいてもパリパリサクサクのままです。また、急に冷え込むことも無く昼間も夜も同じ服装でいられます。さらには、季節がら夜22時くらいまで日が出ており、これには少し時間の感覚がおかしくなってしまいます。 電車一つとってみても…いや、ひょっとしたら電車が一番ギャップがある部分かも知れません。今回訪れた国々では駅に改札は無く、自分で目的地までの切符を買うか、もしくは一日券をタバコ屋で入手して自分でタイムスタンプを押し、自分で行き先を確認した電車に乗ります。車内の広告はゼロ。広告どころか路線図もありません。停車駅に近づくと駅名が一言アナウンスされるだけ。ホームには駅名の表示はあるものの、隣の駅の名前は表記されていません。この状況で自分で降りるべき駅を把握していなくてはなりません。 一方、日本の電車は皆さんが御存知の通りです。ある駅の電光掲示板には『切符は目的地まで正しく買い、目的地まで無くさないようご注意下さい』と。ホームでは『押し合うと大変危険です』のアナウンス。電車に乗れば駅名や乗り換えの案内はもちろんのこと『左側のドアが開きます』とまでアナウンスされます。 こうして電車について比べると、日本では情報量が必要以上にあり余計なものが多すぎます。ですが、どこでも情報が手に入るという利点はあるでしょう。一方でヨーロッパは情報の入手経路が限られている分、ホームも車内もシンプルで静かです。 その情報不足を補うためなのでしょうか。人々は当たり前のように知らない者同士、声を掛け合います。そのやり取りには笑顔があり、とても気持ちが良いものです。他人に聞く必要が全く無いくらい情報量を豊かにするという事は、果たして進歩と言えるだろうか…などと、考えさせられました。 |